ハラダです。

まだ代表取締役です。 

前回のポストでは、設立9年目目前にして自社サイトのリニューアルを無事に終え、Cloudflareの新生CMS「EmDash」に全賭けしたお話をしました。おかげさまでサイトはすこぶる快調。宿題を9年溜めていた人間としては、これだけでもう満点なのですが、サイトとしては継続した発信をしないとまた0点に逆戻りなので、継続的に発信を頑張っていきたいと強く思う所存でございます。

さて今回は、前のポストでしれっと書いた

「AntigravityをぶんまわしながらEmDashへ移行した」

今回はここを深掘りしていこうと思います。

「Vibecoding」と呼ばれているもの

「細かい仕様書は一旦捨てて、AIと会話しながら、そのときのバイブスで爆速でコードを書いてもらう開発スタイル」

というのが定義らしい。極めて雑な言葉ではありますが、AIにコードを書かせること全般を指す俗称と化しています。

うちがそのVibecodingをやったのか、というと、——実際取り組むと全然Vibeでコーディングしなかった。

最初から仕様をドキュメントに落とし込んで、エージェントと壁打ちしながら解像度を上げてコーディング ビルド確認フィードバック修正 をひたすら繰り返す。これはどこからどう見ても「仕様書なし・バイブス全開」ではなく、AIエージェントを使った構造化された開発、つまり「 エージェントコーディング」 でした。

クライアントワークでも当然エージェントコーディングを活用しています。自社サイトだったから「実験的にどこまで行けるか試した」という意味では自由度がありましたが、「仕様書なし」では断じてなかったんですね。

自律的に動くエージェントを使いこなすのは、ある意味で管理職のようなもの。Vibecodingという言葉に引っ張られて「雰囲気でやる」のとは真逆で、ディレクションスキルを徹底的に磨く旅でもありました。

EmDashを選んだことが、エージェントコーディングと噛み合った

旧サイトはWordPressをヘッドレスCMSとして使い、フロントエンドにNuxt.jsを並走させる構成でした。この構成自体は珍しくありませんが、プレビューの仕組み、2系統のデプロイ、PHPとNode.jsそれぞれのアップデート——CMSとして当たり前のことをやろうとするたびに「2つのプロジェクトをまたぐ」コストが積み上がっていく。1人で回すには、やりたいことに対して構造が重すぎました。

EmDashに舵を切った最大の理由はそこです。テーマ定義のAstroプロジェクトとCMS本体が同一リポにまとまった単一アプリケーションなので、プレビューも内蔵、デプロイもCloudflareへの1系統、ランタイムもNode.jsだけ。CMSとして必要な機能がシンプルな構成の中に収まっている。

そして結果的に、この構成がエージェントコーディングと抜群に噛み合った。

物理的スコープが小さいぶんエージェントが迷わず手を動かせるし、インフラがすべてCLIで完結するのでそのまま自動化の対象になる。CMSの選択が正解だったのは、人間にとってだけでなくエージェントにとっても同じでした。

CopilotからAntigravityへ:4年で激変した「相棒」

2022年、GitHub Copilotが正式リリースされ、年末にはChatGPTが世界を揺るがしました。「夢に見た超進化IntelliSense」——キーを数打つ前に次の関数を提案してくれるだけで「未来が来た!」と騒いでいたものです。

そこからCodexベースのツールが乱立し、2024〜2025年に「Claude Code」などの対話型CLIが台頭。そして2026年現在、僕の相棒はGoogleが送り出した Google Antigravity です。

Codex+VSCodeをメインにしていた時期が割と長かったのですが、最終的にAntigravityへ落ち着きました。決め手はエディタへのビルトイン、エージェント専用モードとの2面性、そしてコスト的に割安だったことです。モデルはGemini系、GPT系、Claude OpusとSonnetが使えるので、「Claude Codeだったら」と思うことはほとんどありません。Gemini Flash → Gemini Pro → Claude と段階的にモデルを変えながら使うスタイルで、毎日ゴリゴリ使っても割当枠にブチ当たることなく運用できています。

また今年のGoogle I/Oで Gemini 3.5 Flash が発表されましたが、Googleがコーディング向けに自信をのぞかせていたように、実際かなり使い物になるようになった印象があります。

「こういうものを作りたい」と閃いてから画面に動くモックが立ち上がるまでが、数分から数秒に縮まった。かつて「ライブラリのバージョンが合わなくて丸一日溶けた」「コンパイルエラーをググっていたら朝になった」という不毛なイライラが、すべて秒で解決されていく。これがエージェントコーディングの最大の快感です。

ディレクションへの集中

最大の変化は、人間の役割が「コーディング」から「ディレクション」へ完全にシフトしたことです。コードレベルで手を入れることは当然ありますし、スタイルも結構直しています。ただ「実装」というレイヤーでガッツリ手を動かす頻度は確実に減った。やりたいことにフォーカスできる——そういう時代になったという感じです。

ただ、「放っておいたらいい感じに仕上がる」なんてことは一切ありません。

このプロジェクトは、ごく初期段階からAIエージェントと壁打ちして解像度を上げていきました。1人会社だと初期ブレストを誰かと議論できず、頭の中でグルグル回るだけになりがち。でもエージェントと打ち合わせしていると、まるで「もう1人の社員と話している」感覚のそれです。「こういうことですか?」と整理してくれ、「こういうどうです?」と別視点を出してくれる。自分の都合で第三者意見を浴び続けられるのは非常に便利です。

この段階はChatGPT、Claude、Geminiなど複数のサービスを渡り歩きました。音声モードを使って運転中にブレストしたことも多々あります。

一番良かった点は、環境構築で頭を抱えなくなったことでしょうか。本質的ではない割に時間を取られる作業だったので、正直ここがないだけでも大分ストレスは減りました。

それでも残る「最後の手癖」

とはいえ、すべてが自分の感覚にかなうわけではありません。ドキュメントは振る舞いを示せますが、外観を完全には定義できない。そして外観の定義にはCSSという専用言語があります。なのでここはエージェントに頑張ってもらうのではなく、基本的には自分で書いてリファクタリングのみを依頼するスタイルを徹底していました。

そしてエージェントが完璧なコードを吐き出してもなお、ブラウザで動かした瞬間に——

「……うーん、なんか違うんだよな」

となる瞬間がある。

CSSの1pxの余白の感覚、アニメーションのイージング、ボタンを押したときのレスポンスのテンポ。「もうめんどくさい、そこは俺が直接書く!」とエディタを開いて手直しする。この「最後の手癖」にこそ、人格と味が宿ると思っています。

AIはバグのない100点のコードをくれる。でも僕たちが作りたいのは「なんかおもろい店員がおる店」のような、人格の滲み出るサイトです。それはどれだけAIが進化しても、人間が直接手を入れた最後の一筆からしか生まれない。

ここまでコンピューターアシステッドに作っても「自分で作った」感が薄くないのは、そういうことだと思っています。むしろ結果として、自分のアウトプットは最大化されたと感じています。

楽屋裏のリアル

この投稿の下書きも、エージェントにプロットを渡して組み立ててもらいました。過去記事のトーンを学習させ、数十秒で数千文字の原稿を吐き出してくれました。

そこから約8割方を書き換えたのが僕です。そして、またAIによる推敲を重ねる。

確かに100% Pure Humanではありません。ただ、やりたいことの本質に近づけているという点では間違いなくYesと断言できます。実際にライターさんが書いたものだって校正を経るわけです。本質的にはそれに近いんじゃないかなと思います。

作りたい気持ちだけは、まだ人間のものだ

「人間不要論」には正直まったく共感できません。ディレクションに集中できたのは「楽してる」のではなく、「何を作るか・なぜそれが必要か」を考え続ける時間が圧倒的に増えた、ということ。放っておいていい感じになんてなりません。むしろ、考えることの密度が上がりました。

こうした声は周囲でもよく聞きますが、同時に「思考コストはむしろ上がった」という声も多い。これは僕に限った話でもないのかなと思っています。

開発会社がこんな記事を堂々と出していいのか——そう思う方もいるかもしれません。でも逆です。エージェントがコードを書ける時代だからこそ、「何を作るか」を決め、「これでいい」と判断できる人間の価値がより鮮明になった。道具が強くなるほど、使う側の目利きが問われる。そこに対する確信があるから、この記事を書いています。

エージェントコーディングがもたらしたのは無機質な効率化ではなく、「作りたい」という初期衝動の熱を1℃も冷まさないまま、それを現実に変えられる感覚でした。

究極的に、人間はオシレーターになるのだと思います。シンセサイザーでいう発振器——最初の波形を起こす存在。その信号をどう増幅し、どう形にするかはエージェントに委ねられる。でもゼロから波を起こせるのは、まだ人間だけです。

私は小学生のとき、一太郎で作成した作文を持っていって「ワープロで打ったものは心がこもっていない」と突き返されました。90年代、まだWindowsも95じゃなかった時代です。コンピューターで描いた絵はアートじゃない、そんなふうに言われた時代です。30年経った今、そんなことが常識ではなくなりました。

きっと次の30年、いや、そんなに待たずとも、AIと共同で何かを作るということも当たり前になるでしょう。私はこの話題が出るたびに、Appleが1987年に公開した「 Knowledge Navigator 」のビデオを思い出します。

コンピューターとの会話で資料作ってるの、この人は教授としての仕事を放棄してるんじゃないか?そう思ったのに、今もうこれが当たり前の時代になろうとしている。あり得ないと思っていた時代に今まさに立っている、そう気づく瞬間です。40年経つんだなぁ….

この先に何が待っているのだろう? そんなことをつい考えさせる程度に、この数年のAIの発展と現在位置には色々と感じさせられます。そしてそれを確かに感じた仕事が、このサイトリニューアルでした。

kirinsan.incとしてもまだ試行錯誤の途中ですが、エージェントコーディングに興味が湧いた方がいれば何よりです。

次回:本当の本当に「デザイン・ブランディング編」。。。。。?